ささめ雪 まくら月

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日傘は必需品の旅~その4~旅の懐古

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高知城は高知市街の中央にある典型的な平山城。
慶長6年、土佐へ入国した山内一豊は鏡川と江ノ口川に挟まれた大高坂山に築城工事を始め、同8年に本丸、二の丸が完成したので、入城式を行った。
大高坂山は「河中山」と改められ、後に「高智山」と改名されたが、これが高知のはじまりでした・・・
初代・藩主の山内一豊は戦国武将なのですが、とても貧乏であったので家来も雇えず、いつまでたっても出世しませんでした。あるとき、商人が名馬を連れてきます。しかし、その馬は高すぎて誰も買うことができません。そのこと一豊は妻・ちよに話します。すると、ちよは部屋の奥に入って、嫁に行くときに「どうしても必要なときに使いなさい」と渡されたお金を一豊に渡します。そのお金を使って一豊は名馬買いました。
数日後、織田信長は馬比べを開催しました。一豊は名馬を連れて行きます。その馬をみた信長は「あっぱれ」と言って、一国の大名となる機会を得ました。

普通殿様には側室がいるのですが、一豊は生涯、ちよだけを妻したそうです。
高知はその地理的関係から、年間降水量が屋久島に次に多いのです。
そのため、高知城には排水するための「石樋」(といみたいなもの)や「野面積」という石垣のくみ方で地盤が緩まないような設計がされています。また、天守は一見すると三階建ての見えますが、三層六階で「蒸篭組」というくみ方で建てられています。これは地震対策です。
また、天守には欄干があるのですが、江戸時代以降に建てられた城に「欄干」をつけることは禁止されています。しかし、一豊は掛川城主時代に城に欄干があり、どうしても付けたかったので、家康に特別に願い出て、許可を得たようです。

山内家の家紋「三つ葉柏」は一豊が出陣のときに、馬印がなかったので、家の庭にあった柏の木を馬印にさしたことが由来です。戦いが終わって帰ってくると、その柏の木に三枚の葉っぱが残っていたことから、家紋を「三つ葉柏」にしたそうです。

高知城は本丸部分が完全に残る唯一の城。そして、追手門の天守閣が一枚の写真に収まるのも高知城だけです。

また、時間とお金があっらたいきたなー。今週末は「よさこい」だー。
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by snowdrop-fullmoon | 2005-06-08 10:21