ささめ雪 まくら月

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湖西地元学~ないものねだりではなく、あるもの探し。地元の魅力発見!!~

お久しぶりです。
というのも集中講義(単位なし)で滋賀県高島市の湖西地元学に行ってまいりました。
私は水をテーマにしているので、「水」繋がりで新旭町針江地区でフィールドワークをしてきました。この地域は比良山系の水が湧き出てきるところで、「カバタ」というものがあります。カバタは水道が普及する前から、生活の水を利用するためにつくられたもので、この地域ではほとんどの家庭にに残っています。このカバタから湧き出ている水を「生水(しょうず)」といって、この地区では本当にコンコンと湧き出ています。そんなカバタの利用などを調べるために取材に行ってきました。

 ホントはもっともっと書きたいネタや写真があるのですが、このフィールドワークの間の疲労がかなりきてて頭痛がして気分が悪いので寝ます。ごめんなさい(>_<)
 では、また後ほど。。。
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# by snowdrop-fullmoon | 2005-08-06 23:04 | 日記

祇園祭

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 おととい、四条を歩いていたら、鉾建てました。そのために四条はいつも以上に大混雑!
この山鉾を見ると本格的なを感じますねー(^ー^)
この鉾は四条烏丸西入に建ってた「函谷鉾」です。 

 ではでは、久しぶりに京都について語ってみましょう。
 
「祇園祭」って宵山の祇園囃子と粽売り、次の日の山鉾巡行の交差点の辻回しっていうイメージが大きくないですか?実はアレは一ヶ月に及ぶ祇園祭のほんの一部でしかないのです。山鉾は街を清めるという役割でメインではないのです。メインは八坂神社から出発する3基の神輿です。
 祇園祭はまずは7/1の吉符入から始まります。これは神事始めのことで、祭の打ち合わせと一ヶ月の無事を祈ります。そして、最後は7/31に八坂神社の疫神社で大茅環を設けて夏越祓が行われます。間にいろんなことがありますが、省略するので、気になる人は京都検定の公式テキストのp.183~をご参照ください。 
 そもそも、祇園祭と言うのは京都のトイレ事情と深い関係があります平安時代の人はウンコを道でしていたようです(室内はおまる)。そのため、都中にウンチが散乱していて、そこから病気が発生したみたいです。その衛生状態から病気が広がったなんて知らない平安時代の人は神の祟り(疫病)と勘違いして、神輿をたついで神泉苑で疫病退散の神事を行ったことが始まりだそうです。最初は疫病が流行したときだけでしたが、970年から毎年行われるようになりました。
 最初は手捧げるような鉾も南北朝時代には鉾車だ出てきて、室町時代には現在の形に近いようなものになりました。
       参考:京都・観光文化検定試験 公式テキストブック

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# by snowdrop-fullmoon | 2005-07-14 10:20 | 京都

坊ちゃん団子を食べながら・・~その2~松山城の姿

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加藤嘉明は新しいお城(松山城)を勝山に建てようと思いました。しかし、幕府は築城の許可を第二候補の山に許可する傾向にあったので、嘉明は天山、勝山、御幸寺山の三つの候補地を挙げて、一番建てたい「勝山」を第二候補にしました。案の定、幕府からは「勝山」に築城の許可が出ました。

確かに、松山市内の真ん中にどんと腰をおろす勝山。高速バスで松山市内まで来ると、右手に勝山がよく目立って見えます。これを見ると、「あーやっと来た」って感じがします。
勝山は実は二つの山を削って、谷に土を入れて、平らにしてできた山。そのため地盤が弱かったのか、はたまた、そのときの城主・松平定行が親藩という立場から、幕府の遠慮してなのか、元々五層であった松山城天守閣を三層の今の形に改修しました。
私は松山城好きですよ~。昔にライトアップしてると聞いて登った時、たくさん人がいました。なんかのイベントかな、、、と思って様子を見てると披露宴でした。私はいつの間にやら参加してたみたいでした;
私のささやかな夢は城で結婚式を挙げることです(笑)むしろ、城乗っ取りたいです←(危険)爆
   参考:『松山城の秘密』より

追伸:英語の勉強頑張りすぎたのか頭痛が・・・オヤスミなさいませ(_ _)。。。
    今日「京都検定」の改訂版テキスト届きました。私は分からん単語を辞書で引いたり、赤線でポイントとか付けまくってたのに、交換じゃないと「改訂版」と交換してくれなくて、泣く泣く交換しました。さあ、今年は12/11日にある京都検定頑張るぞー!!目指せ独学で二級(^o^)q
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# by snowdrop-fullmoon | 2005-06-09 22:15 |

坊ちゃん団子を食べながら・・~その1~藩主の歴史

今回は松山城に行かなかったけど、すこし歴史に触れたいと思います。
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道後平野の中央の標高132m の勝山に建つ城「松山城」。姫路城、和歌山とともに連立式天守の平山城の代表です。
初代城主は、豊臣秀吉に使えた「賤ヶ岳の七本槍」の加藤嘉明です。
加藤嘉明はそんなに有名ではないのです。何故なら、同じ「七本槍」に同じ氏字をもつ加藤清正が居たからです。何かと比べられたみたいですよ!ちなみに嘉明は体が小さかったようです。彼の着ていたとされる甲冑を見ましたが、小さかったです。
伊予松前城主の嘉明は関ヶ原の戦いで徳川家康について、伊予半国20万石を封じられ、1602年(慶長7年)から新城と城下町を建設、松山と命名しました。築城26年かけましたが、1627年に完成を見ず、会津に国替えとなります。
二代城主蒲生忠知の死後、1635年には伊勢桑名藩主で家康の甥・松平(久松)定行が15万石で就封。親藩松山藩が誕生し、明治まで15代続きました。

蒲生忠知は30歳と言う若さでななくなり、お家断絶ということから、暴君説があります。
冬になっても泣き止まない蛙に忠知が怒ったところ蛙が春にも夏にもなくなくなったという「泣かない蛙」。忠知が大切にしていた皿を女中のお菊がなくしたという濡れ衣によって井戸に身を投げた「お菊の井戸」。世継ぎが生まれなかったことから、二の丸から望遠鏡で妊婦を見つけて、捕らえて大きな石の上でその腹を裂いたという「まないた石」。あければお家代々栄えるがあけてはお家断絶と言う箱を怒って割ってしまい、その箱の中に「お家断絶」と書かれた紙が入っていた「魔物と小箱」

と言うようにたくさん伝説があります。お菊井戸なんか姫路城などいろんなとこに存在しますよね!蒲生家は忠知だけでなく、短命の家系だったようです。
久松家は菅原道真を先祖とする家系です。松平家との関係が始まるのは徳川家康の母・於大の方が久松俊勝(三代藩主・松平定行の祖父)に所に再婚したのがきっかけでした。つまり定行の父・定勝と家康は父違いの兄弟なのです。
しかし、親藩であったがために幕末では活躍することはできませんでした・・・
   『松山城の秘密』、『名城を行くー松山・今治』より
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# by snowdrop-fullmoon | 2005-06-08 23:18 |

日傘は必需品の旅~その4~旅の懐古

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高知城は高知市街の中央にある典型的な平山城。
慶長6年、土佐へ入国した山内一豊は鏡川と江ノ口川に挟まれた大高坂山に築城工事を始め、同8年に本丸、二の丸が完成したので、入城式を行った。
大高坂山は「河中山」と改められ、後に「高智山」と改名されたが、これが高知のはじまりでした・・・
初代・藩主の山内一豊は戦国武将なのですが、とても貧乏であったので家来も雇えず、いつまでたっても出世しませんでした。あるとき、商人が名馬を連れてきます。しかし、その馬は高すぎて誰も買うことができません。そのこと一豊は妻・ちよに話します。すると、ちよは部屋の奥に入って、嫁に行くときに「どうしても必要なときに使いなさい」と渡されたお金を一豊に渡します。そのお金を使って一豊は名馬買いました。
数日後、織田信長は馬比べを開催しました。一豊は名馬を連れて行きます。その馬をみた信長は「あっぱれ」と言って、一国の大名となる機会を得ました。

普通殿様には側室がいるのですが、一豊は生涯、ちよだけを妻したそうです。
高知はその地理的関係から、年間降水量が屋久島に次に多いのです。
そのため、高知城には排水するための「石樋」(といみたいなもの)や「野面積」という石垣のくみ方で地盤が緩まないような設計がされています。また、天守は一見すると三階建ての見えますが、三層六階で「蒸篭組」というくみ方で建てられています。これは地震対策です。
また、天守には欄干があるのですが、江戸時代以降に建てられた城に「欄干」をつけることは禁止されています。しかし、一豊は掛川城主時代に城に欄干があり、どうしても付けたかったので、家康に特別に願い出て、許可を得たようです。

山内家の家紋「三つ葉柏」は一豊が出陣のときに、馬印がなかったので、家の庭にあった柏の木を馬印にさしたことが由来です。戦いが終わって帰ってくると、その柏の木に三枚の葉っぱが残っていたことから、家紋を「三つ葉柏」にしたそうです。

高知城は本丸部分が完全に残る唯一の城。そして、追手門の天守閣が一枚の写真に収まるのも高知城だけです。

また、時間とお金があっらたいきたなー。今週末は「よさこい」だー。
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# by snowdrop-fullmoon | 2005-06-08 10:21

日傘は必需品の旅~その3~旅の余韻

今日はH家のお母上に頂いた「坊ちゃん団子」をおいしくいただきました。ご馳走様です♪♪
松山の銘菓といえば「坊ちゃん団子」「タルト」「しょうゆもち」。私は個人的にタルト大好きです。あんこは美味でございます~(笑)

坊ちゃん団子とはその名のとおり『坊ちゃん(著者:夏目漱石)』に登場することで有名です。
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「或る晩道後という所へ行って団子を食つた。此の道後という所は温泉のある町で、城下から汽車だと十分ばかり徒歩で三十分で行かれる。
料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊郭がある。おれの這入った団子屋は遊郭の入口にあって大変うまいという評判だから温泉の帰りがけに一寸食って見た。今度は誰も知るまいと思って翌日すました顔をして学校へ行ってみると、一時間目の教室へ這入ると団子二皿7銭と書いてある実際おれは二皿食って7銭拂った。
どうも厄介な奴等だ。二時間目にも屹度何かあるのかと思うと遊郭の団子旨い旨いと書かれている」
作者が少年時代伊豫松山中学校に英語の教師として赴任中道後温泉の入浴しこの団子を食った。その当時の遊郭入口の団子屋は移転して現在のつぼや菓子店である。
    『坊ちゃん団子 元祖道後つぼや菓子舗 のパッケージ』より

坊ちゃん団子は5cmほどの串に刺さった団子なのですが、道後の商店街に行くと巨大な坊ちゃん団子あります(笑)団子一玉が握りこぶしぐらいの大きさなのです。

ついでにいうとタルトはこんな歴史があります。↓
幕府はオランダ以外の貿易を禁止し、長崎出島のみ通商を行いました。松平定行(松山藩主・一代目)は天保元年(1644)に長崎探題を命じられ、長崎屋敷を与えられました。天保4年にはポルトガルの黒船2隻が入港したため、長崎に赴き、黒船との交渉にあたっています。そのときの産物がタルトでした。「タルト」はカステラの中にジャムが入っているものだったそうですが、カステラに餡を使い「の」の字に巻いたものは定行公が考案されたとといいます。
   『城と藩主と城下の基礎知識 松山の秘密』より

ちなみにこのタルトは商品化されるまでは松平(久松)家の秘伝のお菓子だったらしいですよー。
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# by snowdrop-fullmoon | 2005-06-07 23:11 |

日傘は必需品の旅~その2~

6日は京都行き高速バスの時間まで時間があったので道後へ行きました。
「ぎやまん(江戸後期~大正に使われた生活のガラス用品)館」と、湯神社と伊佐爾波神社と湯築城跡と道後温泉の足湯へ行きました。松山城は囲まれて改修工事中でした。
伊佐爾波神社はもともと伊佐爾波岡にありましたが、河野氏が湯築城を建設するときに今の地へ移されました。松山藩主・松平(久松)定長氏が時の将軍に流鏑馬を命じられ、金的を当てれば石清水と同じものをたてる、と神に祈ると、見事に的に命中。京都の石清水八幡宮、大分の宇佐八幡宮と並ぶ荘重な八幡造りの社殿を建立したといいます。

湯築城は鎌倉時代~戦国にかけてこの地を治めていた河野氏の居城でした。しかし、秀吉の四国平定で領地を失い、最後の家督・通直が死去し、河野氏は滅亡してしまいます。湯築城の石垣や木材は松山城に活用され、今は道後公園となっています。

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↑伊佐爾波神社↑神社の赤に空の青の対照が美しい!
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↑湯築城跡↑今は公園。お花がきれいだったなー。けど公園にはおじさま方がベンチで昼寝しててすこし怖かった。。

今回の旅は暑かったけど、楽しかったな(^-^)やっぱ、南の方は日傘必需品です。
(京都の人は黒い日傘が多いのに、松山は白い日傘が多い)

忙しい中、いつも突然やってくる煌月を優しくむかえてくださるH家の皆様ありがとうございました。「坊ちゃん団子」もオミヤにありがとうございます。
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# by snowdrop-fullmoon | 2005-06-07 00:34 |

日傘は必需品の旅~その1~

どうも。久しく書き込みました。ただいまです。
煌月は6/4~6にかけて松山にいってきました。京都駅八条口からバスに乗ること五時間。かなり疲れました・・けど途中で初めて「鳴門海峡の渦潮」を見ることができて嬉しかったです。

6日はつくと結構疲れたので、「たかの子温泉」行って疲れをとって早めに休みました。
7日はどこ行こうか迷ったけど、「高知」に行くことにしました。
ちょうど日曜だったので高知市の県庁前通に「日曜市」というものがあるらしく、それを見ることと、高知城を目的にいきました。愛媛と高知は隣り合わせの県にもかかわらず、高速バスで二時間半。遠かったです・・
まず高知に来たときの気持ちは日差しが痛い!そして街路樹がヤシ!もう南国。私は高知に着くと真っ先に目指したものは、もちろん「高知城」!!私は「功名が辻(著者:司馬遼太郎)」を読んでから、行きたくて行きたくてしょうがなかったから、行けて嬉しかったなーv vふふふ。これで、四国で大きなお城でまだ攻略してないのは「徳島城」だけや。
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高知城を見た後、帰りのバスまで時間があったから、桂浜へいきました。海というものが身近にない私にとって、桂浜に感動させられました。桂浜は太平洋なので、なんと海の水の美しいこと!!瀬戸内海や日本海は全然違う!黒潮の海から打ち寄せる白波のとても澄んでました。思わずそんな風景に魅せられて「われは海の子 白波の~♪」と歌ってしまいました(笑)
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結局、高知では高知城と桂浜しか行ってないけど(路面電車で「桟橋」に行くと桟橋があるのかと思いきや、ただの住宅地だった)、充実してたなー。今度は時間がなくて行けなかった「牧野植物園」に行きたいな(^ー^)牧野富太郎さんはすごい人です。
小学校を二年で退学してから、自然を師として独学で植物を研究して、東大植物研究室で植物の分類に打ち込み、日本の植物学を世界のレベルまでに引き上げる業績を次々残しました。

今度高知に来るときこそ・・・
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# by snowdrop-fullmoon | 2005-06-07 00:00 |

はじめまして

私がHPを作ろうとしてはや2年。
タグを打つのがめんどくさくて、全然作業がはかどりませんでした。

そんな私の前に現れたのが、ブログでした。
これは簡単!

私の周りではブログを開くのがはやってたりします。
それに私も便乗してみました。

いつかHPを作って統合させるぞー。

このブログは私の日記と観光とイラストを中心に書き込んでいく予定でーす(^ー^)
ではでは
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# by snowdrop-fullmoon | 2005-05-15 19:13
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名前:煌月 


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