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坊ちゃん団子を食べながら・・~その1~藩主の歴史

今回は松山城に行かなかったけど、すこし歴史に触れたいと思います。
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道後平野の中央の標高132m の勝山に建つ城「松山城」。姫路城、和歌山とともに連立式天守の平山城の代表です。
初代城主は、豊臣秀吉に使えた「賤ヶ岳の七本槍」の加藤嘉明です。
加藤嘉明はそんなに有名ではないのです。何故なら、同じ「七本槍」に同じ氏字をもつ加藤清正が居たからです。何かと比べられたみたいですよ!ちなみに嘉明は体が小さかったようです。彼の着ていたとされる甲冑を見ましたが、小さかったです。
伊予松前城主の嘉明は関ヶ原の戦いで徳川家康について、伊予半国20万石を封じられ、1602年(慶長7年)から新城と城下町を建設、松山と命名しました。築城26年かけましたが、1627年に完成を見ず、会津に国替えとなります。
二代城主蒲生忠知の死後、1635年には伊勢桑名藩主で家康の甥・松平(久松)定行が15万石で就封。親藩松山藩が誕生し、明治まで15代続きました。

蒲生忠知は30歳と言う若さでななくなり、お家断絶ということから、暴君説があります。
冬になっても泣き止まない蛙に忠知が怒ったところ蛙が春にも夏にもなくなくなったという「泣かない蛙」。忠知が大切にしていた皿を女中のお菊がなくしたという濡れ衣によって井戸に身を投げた「お菊の井戸」。世継ぎが生まれなかったことから、二の丸から望遠鏡で妊婦を見つけて、捕らえて大きな石の上でその腹を裂いたという「まないた石」。あければお家代々栄えるがあけてはお家断絶と言う箱を怒って割ってしまい、その箱の中に「お家断絶」と書かれた紙が入っていた「魔物と小箱」

と言うようにたくさん伝説があります。お菊井戸なんか姫路城などいろんなとこに存在しますよね!蒲生家は忠知だけでなく、短命の家系だったようです。
久松家は菅原道真を先祖とする家系です。松平家との関係が始まるのは徳川家康の母・於大の方が久松俊勝(三代藩主・松平定行の祖父)に所に再婚したのがきっかけでした。つまり定行の父・定勝と家康は父違いの兄弟なのです。
しかし、親藩であったがために幕末では活躍することはできませんでした・・・
   『松山城の秘密』、『名城を行くー松山・今治』より
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by snowdrop-fullmoon | 2005-06-08 23:18 |
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名前:煌月 


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